30年前のインド旅行記

学者兼会社員58歳が30年前のインド、ネパール珍道中日記を書き起こします。

学生に見送られプリ―を発つ

最後のビーチサイド

今日は少々、曇り空。帰り仕度をして、フロントに荷物を預け海へ。又、物売りのおっちゃんがやってくる。今日はシャツとおしぼり、ウエットティッシュと、ワニ皮のベルトと交換だ。僕が交換していると原田がちょっと離れたところで男2人と何か話に熱中している。後で聞いたところによると、オリッサの州立大の学生2人だという。またそいつらと写真を撮って住所交換。しかし昨日、おとといの、S.C.Sのやつらと違って、地に足がついているというか、ずいぶんしっかりした感じだ。夕方食事をしにサンタナロッジに行く。ここは昔からヒッピーが集まってきたところ。最近は日本人が多いらしく、僕らがいくと日本人が2人いた。1ベッドで一泊5ルピーだという。食事のメニューもずいぶん安い。その安さに感動してメニューの写真を撮ってしまった。メモ帳を読んでいると、代々のヒッピーの変遷がわかって面白い。1970年代から、80年代に入って日本人の数が増えている。

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寝台列車カルカッタ

サンタナロッジからリキシャに乗って駅に向かう。予約したシートの確認をしていると、昼に会った学生がやってくる。見送りに来てくれたらしい。彼らにお茶とパウンドケーキをおごってもらう。ずいぶん積極的なやつらだ。ヘッセの書いたシッダールタを読めという。しばらく色々話してるうちに、動き出したので、彼らが列車から降りた。すると次は前に座っているおじいさんが話しかけてきた。新幹線の最高スピードが、時速240~250キロだという話をすると非常に驚いていた。それに比べてこのジャガシナートエキスプレスの乗り心地はどうだと聞かれたので、快適だと答えた。インド人のうるささを除けば、お世辞抜きに、列車の乗り心地は良かった。