30年前のインド旅行記

学者兼会社員58歳が30年前のインド、ネパール珍道中日記を書き起こします。

パニックイン成田

再び成田へ出発

午前 11時。ぐっすり、得意の長寝から目が覚めた。よくこんなに眠れるもんだと、我ながら呆れる。ケイちゃんに電話して、「バンコクからの国際電話だよ」と言うと、珍しく感激していた。一瞬喜ばせたのもつかのま、「実はまだ東京なんだ」という話を打ち明けた。それから、原田も電話口に呼ぼうとして、彼の部屋のドアをノックした隙に、僕の部屋のドアが閉まってしまった。「情けない、最低だ。」原田の部屋に入ると、「なにやってんだよ」とか言いながら、誰かと電話で話してる。誰と話しているかと思ったら、酒井さんだった。酒井さんも、あの後最低だったらしい。まず、空港で駐禁を取られ、その後渋滞で、その後の待ち合わせに大幅に遅れてしまったとのこと。その後、原田に聞くと、今日、飛行機に乗れることになったらしい。「ラッキー!」部屋係に鍵を開けてもらって、電話機に戻ると、ケイちゃんはまだ待ってくれていた。3分間で事態は一変、とにかく今日行ってくるよという話になった。「じゃあね、手紙だすからね!」

午後2時。成田空港に着くと、エア・インディアの受付カウンターのところでは、乗客と受付係りが「乗れる、乗れない」で揉めている。「まだ、ここは日本なんだよ。」詳細を細かく記述するのも面倒なので省略するが、1時間ぐらいして、とにかく今日、乗れるということになった。

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パニックイン成田

午後8時。驚いた。「クレージー、アンビリーバブル、インド人嘘つく」最後の搭乗窓口のところに人がいっぱい並んで動かない。並ぶのも嫌だし、しばらく座って待っていた。ところがそれでも動かない。どうしたのかなと思って、聞きに行くと、なんと、エア・インディアのクルーが来ないとのこと。

午後9時。さすがに、みんな怒りはじめた。日本人の数人の男がうるさい。とにかく、ぎゃあぎゃあ、文句言っている。エア・インディアのスタッフは誰も来ない。しょうがないので、受付にいるJALのスタッフに食ってかかっている。インド人のドクターも食ってかかっている。彼も僕らと同じ、昨日から待たされているみたいだ。インドに早く帰らないと、患者を待たせているので、まずいらしい。JALのマネジャーが説明している。「今、エア・インディアのスタッフとクルーが出発するか、出発しないか相談中である。われわれは、その場に立ち会うことはできない。もうしばらく、お待ちください。」わかったような、わからないような説明だ。エア・インディアのやつら、皆でとんづらかったんじゃないか。

そうこうしているうちに、泣き出す人まで出てきた。子供が疲れ果てて毛布にくるまって寝ている。香港への新婚旅行の二人連れ、香港なのでそう何日もという日程じゃないだろう。うち2日を取られるのは痛い。女性の方が「あなたがこんな飛行機を取るから」と男性に文句を言っている。さっきの日本人が、「JALはエア・インディアの代行をしている責任があるはずだ。エア・インディアがどうのこうのというより、お前らとしてはどうなんだ?国際電話をかけされろ」とわめき始めた。その場の写真を撮る人も出てきた。こりゃ、フォーカスやフライデーものになるのかな。あっ、とうとう新聞記者まで来た。いろいろ取材しながら写真を取ったり、メモっている。インド人のさっきのドクターが、抗議の表明か、床に大の字に寝そべっちゃった。ずいぶんひょうきんなドクターだ。

そして高輪プリンスへ

午後11時。エア・インディアの支店長が来て、説明があり、また、東京に戻ることになった。エア・インディアのクルーがストったらしい。ほんと、勝手にしやがれ!今度は高輪プリンスホテル。昨日よりも、ホテルは少しグレードアップしたのか。それにしても、昨日のバンコク行きの彼女の人生はどうなっちゃったのかな。ここは、まだ、日本なんだよ。