30年前のインド旅行記

学者兼会社員58歳が30年前のインド、ネパール珍道中日記を書き起こします。

ポカラのよい空気

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牛が草をはむ空港

昨日の到着時の驟雨とはうって変って、今日は朝からからっと晴れ上がった。1日10ルピーで自転車を借りて、街までサイクリングでハガキを出しに出かけた。僕が後から遅れていくと、原田が空港のとこで、写真を撮っている。ポカラ空港は、一見すると、空港というより牧草地といった感じだ。牛や山羊がのんびりと草をはんでいる。

僕が着いた時は、ちょうど飛行機といっても小型のプロペラ機が飛び立つところだった。飛行場の職員が滑走路から、歩いている女の人や牛を追い出している。その飛行機が飛び立って間も無く、サイレンが鳴って、今度は別の飛行機が到着した。日本製のYSllだ。街を走っているタクシーもほとんどがTOYOTANISSANMAZDAだ。こんなところでも日本製は多いに頑張っている。

空港のあたりは、ネパールやチベットのみやげ物の売り子がいっぱいいて、僕にも話しかけてきた。民芸品を見せてくるのでいらないと言うと、1人の売り子が宝石を取り出して、僕の膝の上に並べる。いくつか並べたうちのネパール名ムティックとブラックサラール(シタール)は、素人の僕が見てもとても美しい輝きだ。いくらかと聞くと、二つで50ドルだという。高いし、僕は今お金を持っていないので、この時計(腕にしていた割と安めの)となら交換してもいいと言うと、彼はプラス20ドルならいいと言う。僕は、それじゃダメだというとルピーでもいいというので腕時計プラス100ルピーで交換した。この腕時計は最初から処分するつもりで持ってきたものなので、まぁいいとしておこう。彼はこの時計を売って、家にいる妻や子供に何を買ってあげるのかな。

西洋文化の浸食

ここポカラは、はるかかなたに見えるマチャプチェリがとても美しい。野菜も美味しく、朝、夕は冷えるが、昼は半袖で過ごせる。バザールを歩いていても、無理な客引きは少ない。マイケルジャクソンのTシャツやUB40のテープが売ってたり、ボブマリーの歌も聞こえる。西洋的な文化が少しずつ浸食している。こうしてネパールにきて落ち着いたバイブレーションに触れると、いかに、インドが僕ら日本人にとって特別な外国、いわば鏡の向こうの国であるかがわかる。ほこりっぽい、乾燥した気候、夏の異様な暑さ、インド商法、しつこい客引き、その独特の姿が、僕ら旅行者をひきつけもし、またよせつけもしないのだろう。

ポカラ少女隊との再会

夕方、湖の向こうにあるフィッシュテイルロージというポカラの中では1、2の高級ホテルに行ってみた。湖のこちら側とは別天地で、庭も綺麗に整備されてるし、箱根にある高級ロッヂという感じだ。そのホテルで、夜35ルピー払ってフォークダンスを見た。何とそこで、歌い踊っていたのは、昨日のバスで一緒だった少女たちではないか。このポカラ少女隊は、綺麗な衣装を身につけ、お化粧をして、いろいろな場面設定にあわせて、歌い踊る。昨日の健康そのもの元気はつらつという雰囲気とはうって変わり、少女から大人へ一晩で生まれ変わったようだ、女の色気みたいなものさえ、時おり覗かせながら。それにしても昨日のバスの中で、歌がうまかったのは当たり前だった。彼女たちはプロなんだもの。

月明りという街灯

その帰り、もう暗くなってしまった道を自転車でとばす。このように人工の明かりがまったくないと、月明かりは、本当に“灯り”になる。太陽の明かりを反射している月は太陽の分身であり、暗がりの中に頼るものとして授けられたものなのだ。太陽と月は対立するものでなく一体なんだと、その瞬間、感じた。