30年前のインド旅行記

学者兼会社員58歳が30年前のインド、ネパール珍道中日記を書き起こします。

マチャプチャレとマンダラ

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ボートからマチャプチャレを望む

朝一に起きて、マチャプチャレの日の出を見に行くはずが、寝坊してしまった。ポカラに来て、2日間泊まったBABA LODGEはちょっと値段が高いので、明日、カトマンドゥ行きのバスが出るホテルカントゥプールに変えた(共同シャワー75ルピー)。飯を食って、午前中はお洗濯。旅先で洗濯するのはとても気持ちがいい。

午後、湖にボートを浮かべた(2時間、15ルピー)。湖面に出ると、風はほとんどなく、意外と暖かくポカポカしている。湖を囲む山越しに、雲の間に間に、時折ヒマラヤの白壁が覗く。ボートの位置を変えるとマチャプチャレも望める。気分も次第に和らいでくる。ボートを漕ぐのをやめて、仰向けに寝っころがり、空を見上げる。日常の中で加速度的にスピードを上げ過ぎ去って行く時間は、ここでは止まったかのようだ。数ある生き物の中でも人間として生まれ、こうしてゆっくり物ごとを考えられる時間を持てることに感謝だ。

一枚のマンダラに惹かれる

夕方、土産物屋をからかってるうちに、そのうちの一軒で、マンダラやタントラのメモ帳などを売っている兄ちゃんの店に寄った。一度目にメモ帳を買った後、また通りかかると、中を見ていけと言う。色々、話していると、彼もレゲエを聴くらしい。それじゃということで、彼が部屋から持ち出してきたボブマリーのカセットテープを聴きながら、インド人はクレージーだとか、1000ドルで一山を買った日本人の話とか、いろいろ話しこんでいた。そのうち、壁に掛かっている3つのマンダラのうちの1枚に目を奪われ、見入ってしまった。彼に言わせると150ドルはする代物だという。じっくり見れば見るほど欲しくなってくる。彼が、買えよ、安く売ってやると言う。僕は悪いが今、そんなに金がないので買えないと言う。でも何回も見るうちに欲しくなってくる。結局90ドルで買ってしまった。それくらいの価値があると思った。両親がいないが小さい店を持って頑張ってる彼にも、いくらかは儲けさせてやろうという理屈づけをして、自分を納得させて買った。しかし、このマンダラ、ザックには入らない。これから先、持ち運びに不便だが、肌身離さず持ってることになる。ちょっと、不条理な買い物をしちゃったのかな。

ポカラのよい空気

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牛が草をはむ空港

昨日の到着時の驟雨とはうって変って、今日は朝からからっと晴れ上がった。1日10ルピーで自転車を借りて、街までサイクリングでハガキを出しに出かけた。僕が後から遅れていくと、原田が空港のとこで、写真を撮っている。ポカラ空港は、一見すると、空港というより牧草地といった感じだ。牛や山羊がのんびりと草をはんでいる。

僕が着いた時は、ちょうど飛行機といっても小型のプロペラ機が飛び立つところだった。飛行場の職員が滑走路から、歩いている女の人や牛を追い出している。その飛行機が飛び立って間も無く、サイレンが鳴って、今度は別の飛行機が到着した。日本製のYSllだ。街を走っているタクシーもほとんどがTOYOTANISSANMAZDAだ。こんなところでも日本製は多いに頑張っている。

空港のあたりは、ネパールやチベットのみやげ物の売り子がいっぱいいて、僕にも話しかけてきた。民芸品を見せてくるのでいらないと言うと、1人の売り子が宝石を取り出して、僕の膝の上に並べる。いくつか並べたうちのネパール名ムティックとブラックサラール(シタール)は、素人の僕が見てもとても美しい輝きだ。いくらかと聞くと、二つで50ドルだという。高いし、僕は今お金を持っていないので、この時計(腕にしていた割と安めの)となら交換してもいいと言うと、彼はプラス20ドルならいいと言う。僕は、それじゃダメだというとルピーでもいいというので腕時計プラス100ルピーで交換した。この腕時計は最初から処分するつもりで持ってきたものなので、まぁいいとしておこう。彼はこの時計を売って、家にいる妻や子供に何を買ってあげるのかな。

西洋文化の浸食

ここポカラは、はるかかなたに見えるマチャプチェリがとても美しい。野菜も美味しく、朝、夕は冷えるが、昼は半袖で過ごせる。バザールを歩いていても、無理な客引きは少ない。マイケルジャクソンのTシャツやUB40のテープが売ってたり、ボブマリーの歌も聞こえる。西洋的な文化が少しずつ浸食している。こうしてネパールにきて落ち着いたバイブレーションに触れると、いかに、インドが僕ら日本人にとって特別な外国、いわば鏡の向こうの国であるかがわかる。ほこりっぽい、乾燥した気候、夏の異様な暑さ、インド商法、しつこい客引き、その独特の姿が、僕ら旅行者をひきつけもし、またよせつけもしないのだろう。

ポカラ少女隊との再会

夕方、湖の向こうにあるフィッシュテイルロージというポカラの中では1、2の高級ホテルに行ってみた。湖のこちら側とは別天地で、庭も綺麗に整備されてるし、箱根にある高級ロッヂという感じだ。そのホテルで、夜35ルピー払ってフォークダンスを見た。何とそこで、歌い踊っていたのは、昨日のバスで一緒だった少女たちではないか。このポカラ少女隊は、綺麗な衣装を身につけ、お化粧をして、いろいろな場面設定にあわせて、歌い踊る。昨日の健康そのもの元気はつらつという雰囲気とはうって変わり、少女から大人へ一晩で生まれ変わったようだ、女の色気みたいなものさえ、時おり覗かせながら。それにしても昨日のバスの中で、歌がうまかったのは当たり前だった。彼女たちはプロなんだもの。

月明りという街灯

その帰り、もう暗くなってしまった道を自転車でとばす。このように人工の明かりがまったくないと、月明かりは、本当に“灯り”になる。太陽の明かりを反射している月は太陽の分身であり、暗がりの中に頼るものとして授けられたものなのだ。太陽と月は対立するものでなく一体なんだと、その瞬間、感じた。

ネパールの新年

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山並みをぬって、バスはひた走る

日本にいれば元旦という晴れの日となるはずの朝、特に変わったこともなく、いかにも当たり前の日常的な景色で1日が始まった。ここは、さすがに国境の町だけあって、ネパール人とインド人の2つのタイプの人たちがごちゃごちゃしている。ネパール人はわれわれ日本人と、顔つきや体型などがよく似ている。

午前8時半。これまで乗ってきたインド側のバスから、ネパール側に引き継ぐと、思わぬことにバスはオンタイムで出発。今日もまた例の6人で貸切だと思っていたこっちの思惑とはうって変って、途中からどんどん人が乗ってくる。そして、最後に女子学生の集団が乗って、あっという間に満員になってしまった。バスから眺める沿道の風景は、日本の田舎と、とても似ている。インドから来てみると、ちょっとほっとする景色だ。バスは山並みをぬって走って行く。道は案外良く、舗装も整っている。そのうちにさっきの女子学生たちが誰からともなく、みんなで大きな声で歌い始めた。一つの曲が終わると次から次へと別の曲を歌い継いでいく。彼女たちは服装からしても、わりといい家庭の子達なんだろう。くったくなく、悩みのない、よくはずんで、張りがある歌声だ。聴いているうちに、こちらまでだんだん和やかな気持ちになってくる。

ついに、ポカラ到着

午後5時半。さすがに、もううんざりという頃に、バスはポカラに着いた。しかし途中で見たエベレストの白壁は、本当に見事だった。ポカラでの宿は、2日間一緒だったオーストラリア人お薦めのニューツーリストゲストハウスがいっぱいで、いろいろ探してるうちに、僕らはここ、ババロッジに来ている。正月という理由でちょっと贅沢をすることにした。1泊2人で140ルピー。何故か、お腹の調子は元に戻り快調だ。それではおやすみなさい。

国境の町の大晦日

ネパール国境に向け出発

国境で1泊する予定のポカラ行きのバスは、いつもの調子で、集合時間の朝7時から1時間遅れて出発した。今回の僕らのパック旅行の道づれは、ドイツ人夫婦と、オーストラリア人のカップルだ。朝食を食べて腹ごしらえした後、6人の乗客と運転手を乗せたスーパーラグジュアリーコーチ(名前だけ)は、田園風景の中、インドの高速道路(実際は普通の田舎道)をひたすら突っ走る。バタンバタン、時折パシンパシン。このパシンパシンという音は一番後ろの座席シートが、時々外れて、跳ね上がる音だ。

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スーフィーの歌声

途中、食事や休憩で立ち寄る道路沿いには、チャイ屋と物売りが待っている。バスに揺られる合間に飲むチャイは、とても美味しい。食事で寄った店に、DANPURAというインド風アコーディオンを弾きながら歌っているスーフィーの歌手がいたのでテープに録音させてもらった。孤独な目をして、年齢不詳な中性的な声で、彼は何を弾き語っているのだろう。一緒になったドイツ人のおやじは、わりと典型的なプロテスタント中産階級タイプで何かあると必ず「なんだこのインド人は」という感じでつっかかっている。オーストラリア人のカップルは、訳ありな感じだ。男の方はインド、ネパールに、もう何回も来ているみたいだ。 

陽が沈み、真っ暗な中をバスは突っ走る。こうして車に乗っていると、最初計画していたレンタカーでインド縦断なんてやっぱりなかったなと、つくづく思った。それにしてもバラナシを出て以来、1度も信号に出くわさない。インド国中で、信号があるのは、デリーか、カルカッタぐらいなのかもしれない。

国境の町~バイワラへ

午後8時。やっと国境にたどり着いた。みんな一人ずつ、バスから降りて、路上に面したところで、出国手続きをした。その後歩いて国境を越え、その場でビザの申請、入国手続きを済ませて、いよいよネパール入国だ。国境にたどり着くためのここまでの時間やエネルギーに比べて、出入国手続きのなんたるあっけなさよ。

こうして、1984年の大晦日は、ネパール側の国境の町~バイワラで迎えることになった。そして、ネパールツーリストトラベルが用意してくれた今日われわれが泊まるモンタナロッジホテルは、インドに来て以来、最悪のホテルだった。インディアンスタイルで、ホットシャワーは出ない、窓のない真っ暗な土蔵のような部屋だった。しかもこの日、インドにきて初めて下痢になってしまい、僕の1984年は、わりと悲しい気持ちで、過ぎていった。

サルナートで仏の気分

サルナートへの観光ツアー

午前10時。起床、今日もいいお天気だ。朝食を済ませた後、明日のポカラ行きのバスを予約しにでかけた。ネパールトラベルサービスを探して、リキシャのあんちゃんなどにも尋ねたところ、結局昨日のガバメントツーリストバンガロウのところにあるのだということがわかった。ポカラまで1泊つき150ルピーだ。ポカラ行きを予約した後、サルナート行きの観光バスがあるというので、今日はそれに乗ることにした。

サルナートはブッダが悟りを開いた土地。ここにあるスツーパが見事だ。仏跡は、ヒンドゥ、ジャイナ教ムスリムの寺院史跡とは、また違った雰囲気がある。サルナートの周辺は緑も多くゆったりとした雰囲気だ。今日のガイドは痩せていて、昨日のガンガーの人ほど芝居がかっていない。ガイドはそれぞれの仏跡の由来を説明しながら、手際良く進んで行く。そのうち、他の観光客と一緒に、ガイドの後にぞろぞろついて回るのもいやになって、大きなスツーパのところで、原田と僕の2人はぐれていたら、バスは行ってしまった。僕はここにある、でかいスツーパが気に入ってしまい、座り込んでずっと見ていた。

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近くにタイ寺院があることもあって、タイ人観光客風の人が多い。その後、バスの中で見るだけに終わったもう一つのスツーパにも、行ってみた。このスツーパは登れるようになっている。てっぺんまで登ると360度の大パノラマだ。田園風景の中、地平線へ沈む夕日を見ながら、インド人の子ども達と一緒に写真を撮った。

夕暮れのリキシャ

帰りはリキシャに乗って、夕日の中を突っ走る。僕はこのスピード感が好きだ。今日のリキシャマンはなかなかいい走りをする。彼も、オートリキシャ、そしてタクシー運転手へのステップアップを一歩一歩目指して、このリキシャを漕いでいるのだろうか。薄明かりの中を人々が歩いて行く。自転車に乗った人たちとすれ違う。そして、どんどん日が沈んで行った。

ここバラナシにきて3日目になる。インドに着いて2~3日間の勤勉な観光態度とは、うって変わって、だんだん不真面目で、いきあたりばったりになってきた。原田はどうも、カレーとチャパティの飯の繰り返しが嫌になってきたようだ。僕は毎日美味しく食べている。ただ、腸内異常発酵か、ちょっとオナラが出てくるので 正露丸を飲んで、おやすみなさい。

ガンガーの夜明け

ガンガーの夜明け

朝、5時半に起きて、ガート(沐浴場)見物ボート付きの市内観光バスに乗った。インド人の家族1組以外はみんな外人だ。僕らをいれて日本人3組に、フランス人3組だ。ここバラナシに来て特に感じるのは、インドの観光客はフランス人と日本人が多いということだ。ヤンキーはあまりいない。インドの精神世界に惹かれるのは、ヤンキーよりフランス人という感じは、確かにする。ただ、同じ外人観光客で一緒に歩いていても、付きまとわれるのは、決まって日本人だ。日本人てのは、本当にトロくて、チョロイみたい。

遂に、ガンガーに日が登ってきた。昇りたての赤い太陽はまだ光を発しはしない。太陽の丸さがそのまま映しだされている。岸部ではそろそろヒンディーが沐浴を始める。一方、少し離れたところでは朝の洗濯だ。ガンガーが、こういった全てをのみこみ、包み込んでいるのは確かだ。

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ガイドはリノ・バンチェラ

ボートの上では、ガイドのおやじさんの話が始まった。彼の話はかなり練り上げられていて、その口調の抑揚、身振り、手ぶりの解説は、まるでシェイクスピアの芝居を見ているようだ。このおじさん、まぁインドのリノ・バンチェラ(太っているのでローレンス・オリビエにはなれない)といったところか。沐浴でもしてみようかと思ったものの、ヒンディーでもないのに、この寒さの中で、ガンガーに身をつけるのは、結構臭いだろうし、つらいので中止した。ボートはガートにつき、狭い路地を抜けてゴールデンテンプルへ。狭い路地には牛、ろば、犬、そして人が、ただ意味もなくたたずんでいたり、寝ている。寄ってくる物売りを無視して、外からゴールデンテンプルを眺める。さらに、ドゥルガー寺院(別名モンキーテンプル)、バナマスヒンドゥー大学を経て、バスは戻ってきた。

寝台列車でバナラシへ

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寝台列車の旅

朝起きるとフランス人の女の子が青いベルトがないといっている。僕らにも尋ねられたが見つからなかった。かわいそうに。結構可愛い子だった。

電車の中はあいかわらず物売りがうるさい。駅に止まるたびに、チャイー、チャイーと、チャイ売りが、すごいがなり声を出して通り過ぎて行く。

バナラシ到着

17時間の列車の旅を終えて、バラナシ駅に着くと、また、オートリキシャマンがよってきた。今日は、彼らの誘いには乗らないことにしていたので、ホテルに直行だ。ホテルまで、歩いていける距離なので歩くことにした。途中、リキシャマンに、何回も声をかけられたが、ノーサンキューの返答にもかなり疲れてきて、無視して歩き続けた。

今日のホテル、ダックツーリストバンガロウは2人で75ルピーにしては、かなりいいところだ。ここらで、ちょっくら、ゆっくりしようということになった。食事をした後、2人ともぐっすり寝てしまった。