30年前のインド旅行記

学者兼会社員58歳が30年前のインド、ネパール珍道中日記を書き起こします。

タージマハールにぶっ飛ぶ

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朝のリキシャ

今日はとにかくゆっくりタージマハールを見る日にしようと決めた。ホテルで、朝食を済ませた後、部屋に洗濯物を干して、タージマハールへ向かった。インドに来て初めて自転車のリキシャに乗った。オートリキシャもいいが、このリキシャのテンポもなかなかいい。だんだん気持ちがなごんできた。朝の空気はとっても気持ちいい。自転車やリキシャに乗った人とすれ違う。あぁ早く、もっと田舎に行きたいなと思った。夕方もいいけど、晴天の陽光の下、はっきり見えるタージマハールも素晴らしい。観光客も気になるほど多くなく、とってもゆったりとした感じだ。昨日、駆け足で見たところをじっくり、ゆっくり見た。僕は、中ほどにある台座からの、ちょっと遠くから見るタージマハールが一番好きだ。

老夫婦とランチ

腹が減ってきたので、近くで食事を取った。店は、この辺ではしっかりした方の造りだ。客も外人しかいない。隣の席に座っているイギリス人の老夫婦は、なかなか、かっこいい。映画「黄昏」のヘンリーフォンダとキャサリンヘップバーンの雰囲気だ。2人の写真を撮りましょうかといったが、笑って結構ですと言われた。老夫婦なのにいまさらね、という感じだった。食事をしていると、ラクダだの、ロバだの、牛だのいろいろなものが通り過ぎて行く。お腹もいっぱいになったので、昨日買ったものが、ぼられたのかどうかも確かめようということで、政府観光物店に行ってみた。値段を聞くと昨日の店と対して変わらなかったので安心した。近くの郵便局から、日本にハガキを出した。

タージマハールにぶっ飛ぶ

その後、暇だったのでタージマハールに戻って、昼寝でもしましょうということで、裏大戸から入って芝に寝っ転がった。そこでこの日記を書いていると、突然、ワンワンワンという一つの感覚がやってきた。この日記を書いているノートにまずハマって、その音がさらに鮮明に聞こえるようになった。パサパサと飛び立つ鳥に目がとまった。隣に犬が寄ってきた。「お前も俺の隣で寝るかい」という優しい気持ちで見ていると、その犬も僕の隣にきて寝てしまった。鳥の鳴き声、歩いて行く人たち、遠くからこっちを見ているインド人、さまざまなモノや音に目が行った。

ずいぶん時間が経った気がしたが、まだ10分ぐらいしか経っていない。このままではやばいと思って、「原田、なんか俺ハイになっちゃったよ」と言うと、彼は全然なってないらしく、なんのことかわからないようだ。そのうち、美しいタージマハールを見ているうちに、無上の喜びが押し寄せてきた。やっぱり「みんな幸せになった方がいいよ」と本当に思った。音どころか視覚にもやってきた。平衡感覚がおかしいのだろうか、寝っ転がって斜めにタージマハールを見てると、僕がちゃんと座っていて、タージマハールの方が斜めになっているように感じる。

そのうち突然絶望感が押し寄せてきた。これはナチュラルハイじゃない。さっき食った何かに中ったんだと思った。伝染病にかかったのかと思って、とても辛くなった。今まで人生、無事に生きてきたのに、ついに入院ものかと思うととても悲しくなった。でもしばらくすると、今度はタージマハールをこんなハイな気分で見られて、なんて幸せだろうと思った。犬も気持ち良さそうに隣で寝てる。鳥もさえずっている。そうこうしてるうちに、無性に寒くなった。ガタガタ震えている。と思えば、自分で太鼓のリズムを叩いている。あ、これはキングサニーアデのリズムだ。

この間、僕にとっては1日ぐらいたった気分だったが、実際には、2時間ぐらいしか経っていない。でも、2時間もいるので、ホテルに戻ろうということになった。めんどくさいので、原田には特に細かく説明せずに、また歩き出した。今、意識している自分とは別の自分が自然と行動している。普段の意識と無意識が裏返ったような感じだ。

大理石屋を再訪

その後、リキシャに乗ると、またお土産屋に連れて行こうとする。ちょっと走っていると昨日の大理石屋に通りかかった。例のおっちゃんが、僕を呼ぶ、子供もいる、すると原田担当のあんちゃんが突然話しかけてきた。きのうのTCの支払いが足りなかったというのだ。原田も思わず大声をはりあげてしまった。とにかく店に入ってゆっくり話そうということになった。僕はまだハイの状態のままだ。原田が何回も何回もTCを数えている。その間、僕はおっちゃんと世間話をしている。もう一人の僕はそんな自分を遠くから見ている。おっちゃんはインドの漫画を見せてくれる。「見るだけね、見るだけね」こいつ売り物じゃないのに、これが口癖になっている。漫画の面白いところを説明してくれるのだが、おっちゃんの一所懸命説明する態度の方がおもしろくて、思わず笑ってしまった。おっちゃんも、うけたと思ったのか喜んでいる。

そうこうするうちに、昨日の時計と何か交換しようという話になった。別に交換してもいいが、大理石はもういらないし時間もないので断った。隣でTCのチェックをしているのを見て、思わずTCと交換ならOKと言うと、お店のやつらみんなにバカ受けしてしまった。結局、TCの件は嘘じゃなかったらしい。原田も不足分を払って出てきた。

おっちゃんが、昨日とった写真を送ってくれという。そして、突然わかった気がした。インド人は大阪の下町のおっちゃんやおばちゃんみたいな奴だらけなんだよ。たぶん。遠慮もないけど、決して悪気はない。そう思うと、とっても嬉しくなってきた。

しかし、ヘビーだ。まだ続いている。思えば、昼の食事の最後に、ウェイターが、スペシャルドリンクがあるというので、軽い気持ちで頼んだ中に何か入っていたのか。原田は頼まなかったので、僕しか飲んでいない。ココナッツとシナモンの香りがするおいしいドリンクだったが、何が入っていたのだろう?確かに、頼んだ時に、ウェイターが、にやっとした気もする。

リキシャに乗って、欲しかったシャツを買ってホテルへ戻った。部屋に干しておいた洗濯物も無事残っていた。細かいお金がないので、ホテルで換金を頼んだがそれを待っている間、又映画のワンシーンのような気分になってきた。スタッフが意味もなく、ホテルの庭を歩き回っている。しばらく待ったが両替は無理だった。

リキシャで駅へ

ホテルの近くにいたリキシャのじっちゃんが、100ルピー替えてやるからとふっかけてくる。そうこうしているうちに、10ルピーで駅まで乗っけてもらうということになった。原田がリキシャのじっちゃんに、そのベストが欲しいというとOKと言って脱いでくれた。変なじっちゃんだ。道が真っ暗だ。空には月と星の数が少なくて、一個目立つ星が輝いているだけだ。まだハイの状態は続いている。時々すれ違う車のライトに思わず目がいってしまう。おっちゃんは、「日本の女は穴が小さくていいな」などという。「おまんこおまんこ」とすけべなじじいだ。

駅に着くと、じっちゃんがちょっとこいと言う。さっきのベストと交換に何か欲しいと言う。面倒なので、さっきのベストを返すと、それでも車両までついて行くと言う。列車乗り場の入り口には切符切りもいなくて、どんどん中に入って行く。うるさいので、じっちゃんに、ライターやボールペンをあげて、やっと車両に入ることができた。当たり前のように、予定より一時間遅れて、列車はスタートした。隣はフランス人のグループだ。さすがに疲れていたので、シュラフに入って、固まるように寝てしまった。

タージマハールに落っこちる

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デリーからアグラへ

午前6時半。昨日頼んでおいたモーニングコールで目が覚めた。荷造りをしてすぐに、オートリキシャで駅に向かった。駅に着いて昨日予約した列車を探す。ホームに入ってきた車両に予約NOと自分の名前を書いた紙が貼ってあるのを見つけた時には、結構感激した。単に列車に乗るのにこれだけ感激したのは初めてだ。車両の前の席に座っている兄さんは観光地のインド人みたいに気安く声をかけてこないが、時々じろじろとこっちの方を見てくる。僕も時々、ちらちらと見てやった。列車からみるインドの景色はとにかく脈絡がない。あたり一面荒涼とした灰色の世界が続いたかと思うと、パッと畑が開けたりする。前の席の兄さんは結構いいやつなんだが、いかんせん英語がしゃべれない。親しみを込めて、タバコをすすめられたが、僕はタバコを吸わないので断ってしまった。アグラに着く直前、日本語で声をかけてくるやつがいる。いいホテルがあると言ってうるさい。アグラに着いて、列車から降りて話を聞いてみると、僕らが予定していたホテルよりずいぶん安い。とりあえず部屋を見るだけ見てみようということで奴のオートリキシャに乗った。ホテルに着いて金額を聞くと2人で70ルピー、今までの5分の1ぐらいのお金で列車のチケットの予約もしてくれるとの事なので、そこに決めてしまった。そのツーリストゲストハウスのマスターは、英語はおろか片言の日本語、フランス語も操る太てえやつだ。

アグラ城から土産もの屋廻り

僕らは、ホテルにザックを置いて、さっそくアグラ城に向かった。さっきのオートリキシャのあんちゃんが、一日貸し切りで40ドルでどうかと言うのでしょうがないから雇ってやることにした。アグラ城は、全体に赤いという印象だった。アグラ城からタージマハールも見えたが、それほど美しいというほどではなかった。腹が減ったのでレストランに入ることにした。デリーのレストランより店の作りが良くて料金が安い。運ちゃんに言わせると、アグラはムスリムの町なので物価が安いとのことだ。彼に言わせるとブッディストもムスリムもみな友達らしい。彼は、27歳で子供が3人いる。タージマハールは夕方の方がいいのでそれまで時間があるから、大理石の工場と銀細工屋、宝石店に連れて行くという。又、土産もの屋かと思ったが見るだけOKというし、まぁいいや、いってやれと思って、入ってみることにした。

最初に入った銀細工屋のおやじは日本語をよくしゃべる。立って見てると、「まぁ座れ」と言う。そして、「心配ない。見るだけ、見るだけ」と言って、こっちを安心させようとする。「私、今日本語を勉強しています」といいながら次から次へと見せてくれる。日本語を勉強すれば、そんなに儲かんのかな?大物から小物まで、次から次へと見せてくれたが、そもそも買う気がなかったので、結局、断ってしまった。

大理石の小物を買う

次は大理石の工場だ。入って早々に、大理石の細工の仕方から、中に組み込む宝石の産地等を事細かに説明してくれる。次は2人に分かれてマンツーマンで売り込み開始だ。ここでもまず、外人が買った証拠として、領収書を見せてくれる。日本人からドイツ人までさまざまだ。郵送もできますと言って、梱包した狭山市行きの包みを見せてくれる。それから、こちらで半額払って、日本に戻ったら半額送金することも可能だという。どんな銀行なら可能か、例えば、フジギンコウOK、ダイイチカンギン、スミトモ、サンワOK。こいつ、みんな知ってやがる。

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で、いろいろ見せてもらってるうちに、大理石の小箱が欲しいなと思った。一個いくらかと言うと、18ドルだという。ずいぶん高いなぁ。10ドルでどうかというと、私、プア、子供もいる生活できないという。いや。僕もプアだ。これ18ドルで買うと、生活できないと言って値切ってみた。日本から持ってきた古いロードマチックの時計を見せてこれと交換でどうかと聞くとダメと言う。逆に、時計は仏像と交換でどうかと言うので、断った。いろいろ交渉した結果、小箱3つとトレー、それからおまけの象のミニチュアで、合計50ドル払った。原田も買って、2人でTCで支払った。

ピンクに染まったタージマハール

例の運ちゃん、次にカーペットの店に連れて行こうとするのを断って、タージマハールに向かった。「見ると聞くとは大違い」とよく言うが、実際に見てみないとこの素晴らしさはわからない。夕日に照らされて、ピンク色に染まったタージマハールが、ポッカリと浮かび上がっている。まさに、言葉にしても意味がないほどの美しさだ。これは、1人の男が、たった1人の女のために作った墓なんだ。この墓を造り上げるために、費やされたエネルギーを考えると、まさに狂気としか言いようがない。

池に落ちる

タージハマールの全体像を写真の構図に入れるために、後ろ後ろへと下がっていると、「バシャ~ン」、という音ともに、何と池の中へ。あーあ、後ろは池だった。周りの人もみんな驚いている。池に飛び込んだのは、大学の学祭の時以来だ。それは、学祭のいわゆる伝統行事ともなっていた「池落ち」で、ある程度覚悟の上だった。しかし今回は、完全にハプニング。それにしても、タージマハールの池に、これほど、はでに落っこちたやつは世界広しといえども、そうそういないんじゃないだろうか。

霊廟の中

すぐに池から出たものの、全身びしょびしょに濡れてしまった。でも、すでに霊廟への入場料も払っているので、その後、建物の中へ無視して入って行った。廟の中には土足では入れない。1ルピー払うと、靴を皮の袋で包んでくれた。廟の中は薄暗く、お香の香りがただよっている。非常に荘厳な感じだ。床もすべて大理石、そして大理石の棺桶が上下に2つある。歩いていると皮袋から、さっきの水が浸みだして、ぴちょぴちょしてきた。他の観光客もいるし、さすがにまずいので、早々に出ることにした。ちょっと下世話だけど、昨日買った大理石の小箱の金額から換算すると、タージマハールはいったい、いくらになるんだろう?廟の中にあった大理石の棺桶の1つが昨日の小箱の何百倍かはあり、タージマハール全体ではその何万倍かあるはずだ。

ホテルに戻って着替えて、こっちで着れるような服を見に行ったが、またふっかけてくるのでやめにした。結局、ホテルで食事をとることにした。夕方、ちょうどいい気温で、外で食べるカレーはおいしかった。

さっきの水没の影響でカメラのレンズが曇ってしまった。たぶん、自分のカメラは、もう使えない。結果としてはこれが最大の打撃だ。

オールドデリーの混沌

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クリスマスの朝

午前7時半。突然のモーニングノックで起こされた。ボーイが来てメニュー表を差し出した。コンチネンタルブレックファースト25ルピーと書いてある。はっきり言ってちょっと高いが、とにかく頼んでみることにした。トーストとティーとオレンジジュースのセットだ。食べた後、2人ともまた寝てしまった。

午前11時半。さすがにこの時間になると、かなり温かくなってきた。ホテルをチェックアウトして、ぶらぶら歩いてみた。街は人と排気ガスの喧噪真っ只中だ。リキシャ、タクシー、自家用車、人人人。警笛~パーパー、エンジン~ブルブル。近くに2、3、ガイドブックにもでている手頃なホテルがあったので、覗いてみた。その中で料金も造りもなんとなく良さそうなYORK HOTELに今日の寝床を決め、ザックは置いて、ニューデリー駅へ向かった。

インドのあんま

もうお昼だ、腹が減ったので近くの何故かHotelと書いてあるレストランに入った。原田は、ナンとキーマカレー、僕は、チャパティとエッグカレーを頼んだ。2人で24ルピーだ。コンノートプレースまできたので、ここでゆっくりしようということで芝に座り込むと、ほどなくして、いろいろな物売りが寄ってきた。まずあんまがきた。彼は外国人観光客専門の足あんま師のようだ。手帳を持っていて、まくって見せると、日本人のメモがある。「○月×日、僕は大学生、このおっちゃんのマッサージはうまいよ…」というようなことが書いてある。

こっちはいらないというのに、あんま師が足をもみながら、いろいろ説明しながら、あんまを始めようとする。冗談で「僕もあんまのプロだよ」と言って原田の足をあんましてみたが、相手は信じなかった。すると子供が寄ってきて、いろいろ売りつけようとする。別にあんまをやってもらってもいいけど、煩わしいので、とりあえず断ってデリー駅へ向かった。

列車の予約に一苦労

デリー駅に近づくにつれて、だんだん“らしく”なってきた。道端に何故か寝転がっている人たち、物売り、バス、まさに混沌とした世界だ。デリー駅では、明日乗る列車の切符売り場と駅の入り口を確かめようといろいろ見て回った。そうこうしていると、人が寄ってきた。どこに行きたいのかと言ってくるので、原田がアグラと答えると又、売り込みが強まった。アグラ行きの観光バスで50ルピーだという。結局バスは断って、ツーリスト向けの観光情報もあるバローダハウスに行くことにした。今度集まってきたのはリキシャの運転手。2人のうち人の良さそうなターバンを巻いたおっちゃんに決めて、乗り込んだ。

バローダハウスでは僕らと同じ日本人の2人組に出会った。彼らも僕らと同じ便でデリーにきたという。「300ルピーすられたんや」となげいている。そのうちの1人の大阪から来た人の良さそうな方によれば、女のすり集団(といっても最初は物乞いと思っていた女たち)が、わっとよってきて、気がついたら300ルピーなくなっていたらしい。僕らは2等のタージEXPを予約したが、彼らは窓口でレイルパスをとった方がいいと言われて迷っている。YES、NO、でいったりきたりして言葉がイマイチなのもあってはっきりしない。日本人よ、しっかりせよ。(自分も含めて)

とりあえず遺跡観光

バローダハウスを出て近くの古城に向かった。そういえば、まだ観光らしい観光をしていない。コンノートプレースから、やや南東にあるこのあたりはデリー駅周辺と違って、ずいぶん落ち着いた佇まいだ。古城だと思って写真をとって出てきたら、又、その奥に本当の古城があった。インドの遺跡巡りをするとこういうことってよくありそうだ。

次にリキシャで天文台に向かった。1725年に建てられたといわれるこの天文台は巨大な日時計、星の位置の観測用の大きな同筒などがある。写真を撮っていたら、突然原田が僕を大声で呼ぶ。どうしたのかと思ったら、写真を撮ろうとしていたらウエストバックにスリの集団がよってきて、手がかかっていたので蹴飛ばしたそうだ。今日会った日本人がすられたのと同じ集団かな。油断も隙もないといったら、ありゃしない。

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オールドデリーの混沌

その後、デリー城とジャマーマスジットに向かった。この2つはオールドデリーの方角だ。オートリキシャはオールドデリーの繁華街を進む。ここはニューデリーの喧騒どころじゃない。人、バス、タクシーが行き交い、牛が寝そべっている。すべてが、もうぐちゃぐちゃだ。道の両側にはいろんなものが並べられ、売られている。スニーカー、上着、香辛料などなど。ジャマーマスジットとデリー城を外から見て、写真をとったものの、ムスリム以外は入館できない時間になってしまったのでホテルに帰ることにした。ジャマーマスジットのあたりは、ムスリムにとってのもっとも崇高な場所であるとともに、デリーでもっとも卑俗なところだ。歩いていると、ガキが集まってきて、ギャアギャアうるさい。

ついでに、近くのバザールをちょっと覗いて見た。いろいろな生活用品が売られている。ブリキ製のスーツケースだとか、お香立て、靴、服など。ミュージックテープ屋があったので、今インドで1番流行っている歌が欲しいと言うと、2、3、出してくれた。まあ、日本で言えば、三波春夫や、美空ひばりといった雰囲気だ。もっと若い女の子のはないかと聞くと、ないという。インドでは、年期をつまないとヒットシンガーにはなれないらしい。日本みたいに、可愛い子ちゃん歌手がいてもいいのに。しかし、このバザール、ちょっとだけ寄るつもりで入ったのだが、いくら歩いても出口にたどり着かない。ここは例の“泥棒横丁”っていうところらしい。例えば地方都市~僕の育った大分だったら“竹町商店街”が舗装されてなくて、ましてアーケードなんてなく、いろいろな種々雑多ものが売られていると考えればいい。しかも歩行者専用ではけっしてない。ごったがえす人波をぬって、スクーター、リキシャ、荷を背負った牛やロバが、果ては意味もなくヤギが歩いている。そして、ちょうど夕食の時間で、食べ物屋からいい匂いが漂っている。日本でいえば夜店のお好み屋やたこ焼き屋の雰囲気だ。各店の周りには、コジキさんが集まって座っている。食べ物を乞うているのかな。しかし、コジキの皆さんも、彫が深く細身で、ヨガの聖人と見ようと思えば見えてしまう感じで、その境目は難しい。

それにしても、どこまで行っても出口にでない。この横丁に入ってからと言うもの、外人は一人も見ない。インド人も不思議と、僕らに声をかけてくることもない。ほとんど、映画の「レイダース失われたアーク」や「ブレードランナー」の世界だ。そこには、観光地で向けられる外人観光客なれした目つきとはまったく異なる視線があった。オレンジを買って、食べながら歩いていくと、やっと、バス、タクシー、オートリキシャが走っているさっきの大通りに出た。

トゥエンティワンでアイス

一旦、ホテルに戻ってから食事に出かけた。昨日行ったロイヤルレストランの隣のグランドレストランだ。ここは都会なのでかなり普通より値段が高いと思うが、それにしても日本のインド料理屋に比べれば安くて美味しい。その後歩いて見つけた21(トゥエンティワン)に入った。ほとんどサーティワンのパチモンの世界で、ハンバーガーだのアイスクリームだのが置いてあって大繁盛だ。ヤンキー物質文明の一撃が、ここインドにも加えられている。それにしてもトゥエンティワンで食べたバニラアイスクリームは美味しかった。

 

メリークリスマス~デリー

やっと成田を飛び立つ

午前 9時。成田に着いて、また再び搭乗手続きの始まり、始まり。今度こそ、嘘言いっこなしだよ。

午前10時。やっと、機体が地面から離れた。とにかく、日本を離れられただけで、うれしい。もうどこでもいいから、飛んでいってほしい。

香港(トランジット)。空から見る香港はちょっと異様な景色だ。飛行機は、林立するビルを掠めるようにして、降りた。香港の免税店で品物を見ていると、例のバンコク恋物語の彼女が声をかけてきた。「探してたんですよ。私、ネパールの人と知り合いになったので、もしかしたらネパールに行くかもしれません。」とのこと。ますます謎は深まる。この人の今後の人生はどうなってしまうんだろう?

香港を発って、隣の席に座った女性は、日本語を話すが、日本人じゃない。話を聞くと、台湾の人で、今は池袋に住んでいて、今日は香港からバンコクへ行くと言う。正直、どういう話なのか、よくわからない。

バンコク(トランジット)。バンコクでは席を立つこともなかったが、機内食の出し入れの際、外の空気を嗅ぐと、何とも、じとっと、甘い香りがした。するとさっきの「池袋住まいの台湾娘」のかわりに「不良ヒッピー風ヤンキー」が乗ってきた。彼は珍しいことにほとんど荷物をもっていない。つぼと衣だけのたくはつ僧とはちょっと違うけどね。。。

ついにデリー到着

デリー着。インド時間午後9時半。日本時間24時。やっと着きました。人を待たせるだけ待たせて。空から見るデリーは、香港やバンコクとは雰囲気がまるで違う。街灯のあかりが薄暗い。タラップから降りたつと意外と寒いのに驚く。さあいよいよ入国手続きだ。ちょっと、きばって入っていくと検疫は一切フリー。入国審査官は目つきが鋭い。こいつ何考えてんだろう。判を押しながら突然何かしゃべり始めたので、それ来たかと思ったら「ホテルは何処か」という。「まだ決まっていない」と言うと「OK」といって通してくれた。そして税関までがフリー。申請書の類も一切書かされなかった。

入国手続きはうまくいったものの、明日はクリスマスで銀行が閉まっているので、今日中に換金しなくてはならない。ところが24時間営業の両替屋の窓口の人間がどっかいっていない。30分以上待たされて、まぁなんとか両替できた。端数の50パイサをごまかされた気もするけど。50ドル換金→620ルピー

空港を出ると、かなり寒い、もっと厚着してくれば良かったと思う。インドのメインの空港だというのに薄暗い。日本とは明かりの強さがずいぶん違う。色もオレンジを中心としたもので、例えば東名高速の明かりをちょっと薄暗くした感じと思えばいいだろう。

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直行バスで市内へ

ガイドブックに書いてあるのと違って、空港を出たらタクシーの運ちゃんが、うわっと寄って来るというほどではない。時間も時間だからか。僕らは空港から市内までの直行バスに乗ることにした。バス乗り場に行く途中、タクシーの運ちゃんが寄って来た。いくらかと聞くと5ドルと答えるので、高すぎると言って突っぱねた。2~3回行ったり来たりして、バス乗り場を探したが、バス乗り場がよくわからない。しばらくして、角に止まっているバスに人(運転手?)が乗っていたので尋ねると空港発の市内直行バスだとのこと。客が誰もいないので不審な気もしたが、乗りたいというと、受付のところまで連れていかれた。でもバスは、5人以上乗客がいないと出せない、2人で5人分のお金を出せばバスは出るという。嫌だというと、それなら他の客が来るまで待てということで、それで待つことにした。ところが1時間以上待っても誰も乗ってこない。

後でみると、空港行きのバスには2系統あって、一方は時刻表通り出発している。こいつははめられたと思って、受付の男に金返せと言うと、金は返せないと言って、領収書を指差す。しょうがない、もうこうなったら意地になって待つことにした。やっとお客が1人来て、とにかく3人で乗ることになってバスは出発した。それにしてもボロいバスは、片側3車線の道をぐんぐん突っ走る。周りをけなげに走るオートリキシャをぐんぐんぬいていく。

深夜、ホテルにたどり着く

後で乗ってきた1人の客は、インドでは超高級のホテルであるインペリアの前で降りて、僕らは予定していたホテルのセントラルコートへ。ところがセントラルコートは閉まっている。そこにオートリキシャのおっさんが三人いて、こっちのホテルが安くていいといって、名刺を差し出す。そこまで1ルピーだという。部屋を見て決めると言って、乗ってみることにした。部屋をみるとそんなに悪くなかった。税サ込、ツインで300ルピーだ。そこで決めてしまった。もう午前1時をとっくに過ぎている。眠い。今日は1日が27.5時間あったわけだ。メリークリスマス。

・バス代 8ルピー*1

・宿泊代 150ルピー

*1:1984~5年の為替レート:1ルピー=20円

パニックイン成田

再び成田へ出発

午前 11時。ぐっすり、得意の長寝から目が覚めた。よくこんなに眠れるもんだと、我ながら呆れる。ケイちゃんに電話して、「バンコクからの国際電話だよ」と言うと、珍しく感激していた。一瞬喜ばせたのもつかのま、「実はまだ東京なんだ」という話を打ち明けた。それから、原田も電話口に呼ぼうとして、彼の部屋のドアをノックした隙に、僕の部屋のドアが閉まってしまった。「情けない、最低だ。」原田の部屋に入ると、「なにやってんだよ」とか言いながら、誰かと電話で話してる。誰と話しているかと思ったら、酒井さんだった。酒井さんも、あの後最低だったらしい。まず、空港で駐禁を取られ、その後渋滞で、その後の待ち合わせに大幅に遅れてしまったとのこと。その後、原田に聞くと、今日、飛行機に乗れることになったらしい。「ラッキー!」部屋係に鍵を開けてもらって、電話機に戻ると、ケイちゃんはまだ待ってくれていた。3分間で事態は一変、とにかく今日行ってくるよという話になった。「じゃあね、手紙だすからね!」

午後2時。成田空港に着くと、エア・インディアの受付カウンターのところでは、乗客と受付係りが「乗れる、乗れない」で揉めている。「まだ、ここは日本なんだよ。」詳細を細かく記述するのも面倒なので省略するが、1時間ぐらいして、とにかく今日、乗れるということになった。

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パニックイン成田

午後8時。驚いた。「クレージー、アンビリーバブル、インド人嘘つく」最後の搭乗窓口のところに人がいっぱい並んで動かない。並ぶのも嫌だし、しばらく座って待っていた。ところがそれでも動かない。どうしたのかなと思って、聞きに行くと、なんと、エア・インディアのクルーが来ないとのこと。

午後9時。さすがに、みんな怒りはじめた。日本人の数人の男がうるさい。とにかく、ぎゃあぎゃあ、文句言っている。エア・インディアのスタッフは誰も来ない。しょうがないので、受付にいるJALのスタッフに食ってかかっている。インド人のドクターも食ってかかっている。彼も僕らと同じ、昨日から待たされているみたいだ。インドに早く帰らないと、患者を待たせているので、まずいらしい。JALのマネジャーが説明している。「今、エア・インディアのスタッフとクルーが出発するか、出発しないか相談中である。われわれは、その場に立ち会うことはできない。もうしばらく、お待ちください。」わかったような、わからないような説明だ。エア・インディアのやつら、皆でとんづらかったんじゃないか。

そうこうしているうちに、泣き出す人まで出てきた。子供が疲れ果てて毛布にくるまって寝ている。香港への新婚旅行の二人連れ、香港なのでそう何日もという日程じゃないだろう。うち2日を取られるのは痛い。女性の方が「あなたがこんな飛行機を取るから」と男性に文句を言っている。さっきの日本人が、「JALはエア・インディアの代行をしている責任があるはずだ。エア・インディアがどうのこうのというより、お前らとしてはどうなんだ?国際電話をかけされろ」とわめき始めた。その場の写真を撮る人も出てきた。こりゃ、フォーカスやフライデーものになるのかな。あっ、とうとう新聞記者まで来た。いろいろ取材しながら写真を取ったり、メモっている。インド人のさっきのドクターが、抗議の表明か、床に大の字に寝そべっちゃった。ずいぶんひょうきんなドクターだ。

そして高輪プリンスへ

午後11時。エア・インディアの支店長が来て、説明があり、また、東京に戻ることになった。エア・インディアのクルーがストったらしい。ほんと、勝手にしやがれ!今度は高輪プリンスホテル。昨日よりも、ホテルは少しグレードアップしたのか。それにしても、昨日のバンコク行きの彼女の人生はどうなっちゃったのかな。ここは、まだ、日本なんだよ。

いよいよ出発のはずが・・・

いよいよ出発の日

午前7時半起床。いつものように、寝ぼけ眼で目が覚めた。でも今日は、インドに行く日、夜中にはデリーに着いているはずだ。しかし、この2週間、飛行機の予約が取れてから、ビザの申請、ペストの予防注射、その間隙をぬって、会社の仕事、仕事、仕事。ここ数日で実感したのは、仕事に対して期限があるんじゃなくて、期限に対して仕事があるんだってことだ。そして、その通り、昨日までにはなんとか仕事をやり終えた。

正月休みを挟んでいるとはいえ、さすがに、三週間も休むと言うと、会社の人はみんな驚いていた。でも、部長なんか、意外とのんきなもので、「いっぱい休めていいな」などと言っていた。みんなも気にせず、どんどん休めばいいのに。だって、日本人よ、休みを取れというのは、国家の基本方針?なんだから。とにかく、こうやって休みを取らせてくれた周りの人たちに感謝。さあ、母さんの作ってくれたニッポンのご飯とみそ汁を食って、出発だ。

午前10時。原田くんとの待ち合わせ場所に着くと、ちょっと遅れて酒井さんがやってきた。酒井さんは、なんと、空港まで一緒に行ってくれて、そのまま原田の車に乗って帰ってくれて、われわれが帰国する日に成田に置いておいてくれるんだって。ちょっと、やさ男の酒井さん、しかし、彼も巻き込まれやすいタイプなのかな。いい人なんだね、きっと。

いきなりガス欠

それからしばらくして、いつものように原田が遅れてやってきた。ようやく原田の愛車シティに乗って出発。箱崎から乗って、車は湾岸道路を快調に進む。ところがである・・・佐倉まで後2キロというというところで、突然、原田のあれ~という声がして、車のスピードがぐんぐん落ちてきて、ついに側道に止まってしまった。なんと、ガソリンを入れ忘れていたのだと~。原田が車から降りて、非常電話のとこまで、てくてくと歩いて行った。その間、僕らは車の中から一歩も出る気もしない。そして、非常電話のところから、原田がまた、てくてくと歩いて戻ってきた。その姿に、ついついニヤニヤしてしまった。まだ、日本なのに、早速のアクシデント。しかし、搭乗手続きの時間も迫っているというのに、なんとなく余裕があった。皆で、せんべいを食べたり、記念撮影などをして待ったところで、JAFにガソリンを補給してもらって、やっと出発。ようやく成田に着いた。

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隣に座る謎の女性

午後2時。エア・インディアの搭乗手続きも終わり、飛行機に乗り込んだ。まもなく、飛行機は成田を飛び立った。僕のとなりには、20代後半の女性が1人座っている。しばらくして、時間を尋ねられたので、「どちらまで?」と聞くと、「バンコクまで」と答えた。「観光ですか?」とさらに尋ねると、彼女は口ごもってしまった。それから一呼吸おいて、「私、招かれざる客なんです。」と言う。なんか不穏な雰囲気だが、たまたま乗り合わせた人の話だし、また会うこともないからいいやと思って、ふんふんと聞いていると、彼女には、1年以上つきあっているバンコクに住むタイ人の彼がいるとのこと。今回、その彼に会いに行くはずだったが、今朝、彼の友人から電話がかかってきて、彼には実はフィリピン人の妻子がいて、バンコクの空港に迎えに来るどころか、フィリピンに行ってしまったと言う。でも彼女にしてみれば、航空券も既にとってあるし、電話で言われても信じられないので、とにかく行ってみようということらしい。しかし、世の中にはいろいろなドラマがあります。周りは、インド人、タイ人、香港人など、うさん臭い感じの外国人でいっぱいで、彼女の話もあり、機内はまるで「欲望という名の電車」と化しつつあった。

まさかの成田リターン

しばし、うとうとしていると、突然の機内アナウンス。「当機は、エンジン故障のため、ただいまから、成田空港に戻ります。」「なんだと、ゲェ~~~」時計を見ると、出発してから1時間以上経っている。そして、なぜか20分ぐらいで、成田空港に戻ってしまった。アナウンスがあったのは、すでにかなり戻ってきたところでなんだろう。飛行機マニアに近い原田の話によれば、出発する時からすでにおかしかったらしい。後から、他の人から聞いた話によると、地面を離れるまで、ずいぶん長く滑走路を走ったらしい。「インド人なら、インド人らしく、もっと気合で飛べ」とつい、つぶやいてしまった。成田空港に戻っても、修理のめどが、立たないようだ。しばらくして、機内で食事が出された。この事態を飯でごまかすつもりだなとは思ったが、これはある種正しい戦略だ。人はおなかが空いているだけで、意味もなく怒りっぽくなるものだからだ。

「今日はだめなんじゃない」と原田と話していると、案の定、ホテル待機ということになった。しかも、修理に48時間はかかるというのである。前の席の窓際に座っている女性の話では、成田に着く前に、エンジンの煙が消えたという。普通の状態でも、到着するときはそうなんじゃないかとは思ったが、ひどい故障には違いない。しかし、午後2時から6時までの日本を出国していた4時間はいったい何だったのだろうか?われわれは、この時間を「空白の4時間」と名付けた。

そして品川プリンスへ

午後8時。バスは成田から東京に戻り、今日の夜泊まる品川プリンスホテルに着いた。空港で今日はSuitable Hotelに泊まるという案内があったから、どんなとこかと思ったら、ビジネスホテルじゃないですか。エア・インディアからもらった食事券の限度額ぴったりまで飲み食いした後、家に電話した。その後、ケイちゃんや何人かの友達にも電話したが、今日は楽しいクリスマスの前の土曜日、誰もいない。すぐに寝てしまった。