30年前のインド旅行記

学者兼会社員58歳が30年前のインド、ネパール珍道中日記を書き起こします。

あとがき

牛はつかまえられたのか

この日記のタイトルにした「CATCH BULL」とは、仏教の悟りにいたる道筋を絵で表した十牛図の中の「得牛」のことである。得牛とは、力づくで牛をつかまえること。10枚の中でもまだ4枚目の、何とか悟りの実態をつかみつつあるものの、いまだ自分のものになっていない状態のことを表している。しかし、力づくでもなんでも、牛をつかまえられたら、それはそれですごいことである。この旅では、成田の出だしから、タージマハールの一件に至るまで、「CATCH BULL」どころか、惑わされっぱなし、おちょくられっぱなしだった。そして旅の後半のプリ―の浜辺にも、なぜか一頭の牛がふらっと現れ、そしていつのまにか、いなくなってしまった。

f:id:meibinas:20170116102156j:plain

いつか再訪してみたい国

私自身、その後の30年間で、様々な国を訪れ、様々な経験をした。数か月間、海外でアパートを借りて、家族と一緒に生活したこともあった。しかし、この最初に訪れたインドほど、自分にとって、印象深い国はない。よく、一度インドに行くと、また訪れてみたいという人と、二度と訪れたくないという人に二分されると言われる。その後インドには、なぜか一度も行く機会はなかったが、チャンスさえあれば、ぜひまた訪れてみたい国である。インドファンになったとか、インドにすごくはまったというわけでもない。単に、前回の3週間の旅では、一部の地域しかまわることができず、インドの全容を知ったとは言えないからである。おそらく、何回行っても、その全容をつかむことなど無理なのだろう。しかし機会があれば、また訪れ、今の自分とインドやネパールの、変わった姿と変わらない姿を、改めて見て、感じてみたい。そして、「牛」と今の自分との関係がどうなっているのかも。。。

f:id:meibinas:20170116102602j:plain

まえがき

 
インド、ネパール珍道中を書き起こします

ある日、部屋の片づけをしていると、一冊の古びたノートが出てきた。およそ30年前の1984年の年末から1985年の年初にかけて、約3週間、インド、ネパールを旅した記録だ。当時、藤原新也著作に傾倒していたこともあり、いい歳をして初めての海外旅行の行き先を、なんとインドにしてしまったのだ。

 

f:id:meibinas:20161220115317p:plain

改めて過去を振り返ってみた

普段日記を書く習慣がないため、あまり過去を振り返ることはないが、ノートを改めて読み返してみると、26歳の等身大の自分がそこにあった。そして、*1毛髪の量とともに?失われた過去の記憶が鮮やかによみがえってきた。バックパッカーの旅の道連れは、この記録でもしばしば登場する*2原田氏。当時の未熟でどんくさい自分と、その自分から見たインドやネパールの姿が懐かしい。まさに珍道中と言える旅だった。

 

 

*1:現在の毛髪量はお察しください

*2:当時の会社の同期であり、この旅行の写真撮影者。他の登場人物含め一応匿名

インド最後の晩餐

高級レストランで飽食

いよいよインド最後の日。午前11時起床。ホテルでチェックアウトをした後、最後の日くらいは美味しいインド料理を食べようということで、パークストリートという高級レストランが並ぶ街の方へ向かう。そこで本場のタンドールチキンを出す、その名もTANDORという店に入る。座るとウェイターが、椅子を動かしてくれるような店だ。これまでの薄っぺらいチャパティと違い、ここはナンも食べ放題だ。飽食。(2人で126ルピー)

f:id:meibinas:20170115130302j:plain

f:id:meibinas:20170115130321j:plain

その後、原田がステンレス製の茶こしが欲しいというので、ニューマーケットへ向かうが、ガイドの男がうるさいばかりでいいのがない。さらにインド人が行く日用品街を探して、ハウラー橋の方へ向かう。カルカッタはさすがに広い。どこまで行ってもアメ横みたいなのが並んでいる。そのあたりで、ちゃっちい皿やシールやらステンレス食器などを買うことができた。カルカッタでは観光するより、日常の生活を見て歩く方が面白い。

インド出発はあっけなく

中華料理店で食事をした後、タクシーで空港に向かう、ちょっと高くて50ルピー。このタクシーの運ちゃんは、愛車のアンバサダーをいかにもうまく乗り回し、カルカッタの混沌とした道をスイスイと飛ばす。室内はけっこう広く、バス、リキシャ、列車と乗ってきて、やはり乗り心地ではタクシーが一番という結論に、今更ながら達する。そして、空港に到着。何回もリコンファームした甲斐もあって、無事搭乗手続きを終え、飛行機に乗り込む。行きの成田とはうって変わって、ほぼ予定時刻通り。ちょっとあっけなく、エア・インディアは、ここインドの地を飛び立った。

カルカッタで映画鑑賞

フェリーで川を渡る

午前8時半。再びカルカッタに到着、駅からホテルへ行くのに、まず、渡しのフェリーを利用。ハウラー橋の渋滞を避けられるし、速いし、カルカッタじゃ1番いい乗り物のような気がする。予約してあったリットンホテルにチェックインした後、ニューマーケットのあたりをうろつく。

持ってきた電卓を90ルピー、時計を200ルピーで現金に変えて、お土産の反物とミックスマサラ、サフラワーを手に入れる。ニューマーケットには、カゴを持った案内人がたむろしていて、外人観光客とみると声をかけてくる。言うなりになっていると、適当に案内だけして、10ルピー要求してくる。歩いていると、しつこいくらいについてくるが全部無視してやった。

f:id:meibinas:20170114122000j:plain

大名気分で映画鑑賞

夕食を食べた後、映画を見に行く。いろいろある映画の中からインドの娯楽もの、中でも、看板に書かれた豊満な女性のイラストに魅せられて、AWAAZという映画を選んだ。午後8時半スタート。僕らは5ランクに分かれている座席のうちの、D/C(dress circle)5~6ルピーの指定席で、大名気分で見る。弁護士役のヒーローは、角川博のような目をした江守徹風、ヒロインは富士真奈美風の大サスペンスロマンものであった。開演時間は、前半、後半に分かれていて、途中休憩が入る。前半はヒーローとヒロインのロマンスシーンでほぼ終わってしまった。妹カップルの絡みの時間を含めると、回想シーンだけで、前半の50%を占めていた感じだ。この回想シーンが圧巻である。ヒロインは衣装を取っ替え引っ替え、花いっぱいの中で踊り、歌いまくる。この回想シーンはミュージカル仕立てになっている。これがまた全体のストーリー展開とは、全く関係がないところが突き抜けている。後半、敵対している悪玉のボスの息子から、妻を強姦された上に殺されて、弁護士は突然復讐の鬼と化する。そして最後には敵をすべて皆殺しにしてしまう。「目には目を、歯には歯を」のハムラビ法典の世界なのだ。前半の弁護士夫婦の美しいロマンの世界と後半の復讐劇とが大きなコントラストを見せている。法の番人であるはずの弁護士が愛する妻の復讐の為に殺人を犯し、最後には有罪の判決を受けてしまうという逆説的悲劇になっている。

人力車でホテルへ

映画を見終わったのが午後11時半。インドに来てから、街を歩く時間としては、画期的な遅さだ。リットンホテルまでの帰り、自転車で漕ぐリキシャではなく、初めて人力車に乗った。人に引かせているのと、引いているおっちゃんが手を離したら、後ろに倒れるのが心配で、あまり気持ちのいいものではなかった。この時間になっても街には人がうごめき、何やらやっている。僕が東京で住む明大前のアパートのすぐ近くで、朝早くから夜遅くまで、ちんたら店を開けている八百屋のじいさん、ばぁさんを思い出してしまった。

学生に見送られプリ―を発つ

最後のビーチサイド

今日は少々、曇り空。帰り仕度をして、フロントに荷物を預け海へ。又、物売りのおっちゃんがやってくる。今日はシャツとおしぼり、ウエットティッシュと、ワニ皮のベルトと交換だ。僕が交換していると原田がちょっと離れたところで男2人と何か話に熱中している。後で聞いたところによると、オリッサの州立大の学生2人だという。またそいつらと写真を撮って住所交換。しかし昨日、おとといの、S.C.Sのやつらと違って、地に足がついているというか、ずいぶんしっかりした感じだ。夕方食事をしにサンタナロッジに行く。ここは昔からヒッピーが集まってきたところ。最近は日本人が多いらしく、僕らがいくと日本人が2人いた。1ベッドで一泊5ルピーだという。食事のメニューもずいぶん安い。その安さに感動してメニューの写真を撮ってしまった。メモ帳を読んでいると、代々のヒッピーの変遷がわかって面白い。1970年代から、80年代に入って日本人の数が増えている。

f:id:meibinas:20170113143207j:plain

寝台列車カルカッタ

サンタナロッジからリキシャに乗って駅に向かう。予約したシートの確認をしていると、昼に会った学生がやってくる。見送りに来てくれたらしい。彼らにお茶とパウンドケーキをおごってもらう。ずいぶん積極的なやつらだ。ヘッセの書いたシッダールタを読めという。しばらく色々話してるうちに、動き出したので、彼らが列車から降りた。すると次は前に座っているおじいさんが話しかけてきた。新幹線の最高スピードが、時速240~250キロだという話をすると非常に驚いていた。それに比べてこのジャガシナートエキスプレスの乗り心地はどうだと聞かれたので、快適だと答えた。インド人のうるささを除けば、お世辞抜きに、列車の乗り心地は良かった。

きゅうり売りの少年

浜でゴロゴロ、物々交換

午前9時起床、朝飯を食って浜へ。今日あたりコナラーク、ブハネーシュアル等、この辺の観光地をバスで回る予定だったのだが、もう、めんどくさくなって中止。とにかく、浜辺でゴロゴロしているのが最高という結論に達する。

浜でゴロゴロしていると又、物売りがやってくる。断るのも飽きてきたので、その時、着ていたポロシャツ(このポロシャツも日本では滅多に着ないやつ)と交換ならいいよと言うと、もっと、時計とかカリキュレーター、あるいはジーンズならよいという。そこでこの旅で持ってきたものの使っていないもの、ウエットティッシュ、スキン(一応旅の備え)、シャツ、ジーパンを部屋から持ってきて、どうかといって、さぁ商談開始。ウエットティッシュの使い方や結婚しているなら、あなたの幸せな家族計画のためにスキンは必要だなんてことを話しているうちに、ワニ皮の財布とジーパン(このジーパンも日本では滅多に履かないタイプ)を交換ということで、商談が成立した。

再び学生と交流

と、そこに一昨日の学生たちがやってくる。今日は休みの日だというが、まぁ暇な兄さんたちだ。政治や宗教、東京のことなど、いろいろ話そうとせがまれる。今日来たのは三人ほど、みんな18~19歳だ。そのうちの一番背の高いやつと話す。僕の英語でもメニューのオーダーやホテルのチェックイン、買い物なんかは何とかなるんだが、そういう話になると、英語の能力のなさを痛感。背の高いやつは政治学を専攻していて、将来は政府の役人になりたいという。まぁ偉い役人になって日本にきてください、その時は案内するからなどと僕も答える。物売りや客引きのえげつなさと、彼らの異様な真面目さが、まったく対称的だ。

f:id:meibinas:20170112145445j:plain

きゅうり売りの少年

彼らが帰った後、又、色々な物売りがやってくる。そこでみんなに、このポロシャツと交換ならOKだよと言っていると、おととい、昨日も来た、きゅうり売りの少年がやってくる。彼は、キュウリをむいてくれる。他の物売りがいった後で、僕にそのポロシャツくださいと彼が言う。別にあげても良かったが、彼がくれたキュウリに対してポロシャツをあげるのは正当ではないと思って、ボールペンをあげる。それでも彼は座って動かない。歌を歌ってくれたので、こちらは、日本の歌の代表?として「星降る街角」と「富士の高嶺」を歌ってあげる。彼は、オヤジがいなくて一人で家計を助けているという。一日の売り上げは31ルピー。キュウリの原価が20ルピーなので11ルピーが儲けだという。彼らから言わせると、日本人はリッチマンだという。確かに、日本人は、平準化しているので、相対的にはリッチマンは多いと言えよう。ただし本当の意味でのリッチマンかどうかは疑問だが。。。

午後はずっとバンガローで本を読みながら海を見て過ごす。夕方になって例の中華料理へ、リキシャで乗りつける。リキシャの兄ちゃんは僕らが食べている間、外で待っているという。食べ終わった後、リキシャで帰って、本を読んでおやすみなさい。午前1時(時間は後で確かめた)原田の呼び声で目が覚める。窓からみると、街の方ですごい音がしている。拡声器の音と人がざわついている雰囲気、又、騒動でも起きたのかと思って窓から見てみる。しばらくすると静かになった。どうなっているんだ、この国は。

f:id:meibinas:20170112145517j:plain

浜辺でリゾート気分

f:id:meibinas:20170111100853j:plain

浜辺でくつろぐ

朝一は、もやっていたが、すぐに快晴。今日も日がな一日海だよ~ん。午前中、浜辺で本を読んだり、泳いだりした。やっとカルロス・カスタネダの「分離したリアリティ」を読み終える。そのうちに竹細工のヒンディの神々を扱う物売りがやってきて、いろいろ見せてくれる。その中では、ガネーシャの像が結構気に入ったので、いくらかと聞くと、50ルピーだと言う。はなっからお金を出して買う気はなかったので、その時Tシャツの上に着ていた昔のボタンダウンシャツ(日本では絶対着ないやつ)と交換しないかと言うと、このシャツに10ルピー加えるなら替えてもいいと言う。絶対シャツだけでなきゃ嫌だとごねると、なんとか交渉は成立した。

ジャガナート寺院を望む 

その後、13日のカルカッタ行きの列車の予約をしに駅に行った帰りに、歩いてバザールを見た後、ヒンディの聖地~ジャガナート寺院に向かった。その途中、女子大の門の前を通った。その周辺にはいかにも女子大生という感じで小綺麗な格好をして小脇に本をいっぱい抱えた女の子たちが多い。普通の女の人に比べてツンと気取った感じ。「私たち女子大生なんですわよ」という意識むんむんである。

異教徒である僕らはジャガナート寺院の中には入れない。そこで、前にある図書館の四階に上って、そこから眺める。寄付という名目だが、料金は20ルピーと決まっている。プリーだけでも、6000人の人が何らかの形で関わっているといわれるこの寺院は、外から見ただけでも手入れが行き届いて、遺跡とは大きく違い現在も信仰上の力を持っているということがよくわかる。

その後、腹が減ったので、レストランを探すが、もうどこのレストランも昼と夕方の間の休憩時間に入っていて閉まっている。しょうがないので、茶店に入ってチョップというスナック風のジャガイモの入ったカレーの天ぷらみたいなやつを食いながら、チャイで空腹をしのぐ。その後、例の中国レストランで飽食。この旅で一番高級、2人で69ルピー払った。穏やかで、なごみっぱなしの一日だった。